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 第21回
「『練功反応』は健康レベルが上がっている印です。
怖がらずに正しく対処すれば大丈夫!」



20070528075015.jpg気功をはじめて3年ほどたった頃、私は指導員を対象とした研修会に参加しました。
指導員研修会だけあって、いつも以上に密度の濃い充実した練功を体験することができました。

じつはその講習会のときに突然、30数年前に患った帯状疱疹と同じ症状が出てしまいました。
わき腹に激痛が走り、痛みが何日も続いたのです。

ただし症状は痛みだけで、帯状疱疹の特徴ともいえる発疹は見られませんでした。
病院で診察を受けたところ、ウィルス検査は陰性。発疹も出ていないので、帯状疱疹ではないという診断結果を頂きました。


帯状疱疹でないのなら、いったい何かというと――
気功を習い始めてある程度レベルが上がってきたときに現れる「練功反応」でした。

練功反応には、おもに2つのパターンがあります。

ひとつは私の例のように、
以前かかった病気の症状がぶり返したように現れるものです。
病気のなかには完治したと思っていても、
病気の根っこのようなものが体内に残っているケースがあります。
練功を続けて健康状態が良くなっていくときに、
その病気の根が掘り起こされて改善するので、
一時的に症状が出てしまうのです。
つまりこの反応は、完全に健康な体に作り変えるために、
体内の悪いものをすべて出し切る現象といえるでしょう。

練功反応のもうひとつのパターンは、
現在かかっている病気の症状が一時的に悪化したように感じられるものです。
病気の期間がしばらく続くと、体は病気がある状態でバランスを取ろうとします。
でもそれは決して健康的な正しいバランスではなく、誤ったバランスです。
練功を続けていくと患部に「気」が通って病気がなおっていくわけですが、
その過程でバランスも調整されるので、
体調が一時的に悪くなったように感じてしまいます。
これも体を高い健康レベルに上げていくために欠かせない変化です。


突然体調が変化すると、誰でも不安になるものですよね。
でも、練功反応は決して病気の再発や悪化、別な病気の発症ではありません。
体が健康になろうとして変化しているのです。


私が見聞きした練功反応の例をいくつかご紹介しましょう。
 過去に患った尿道結石と同じ痛みが出てきた
 数十年前にかかった膀胱炎の不快感が現れた
 突然、血尿が出た
 真っ白な便が出た(この方は内臓にポリープがありました)
 涙がボロボロ出た(この方は飛蚊症でした)
 足にできていた魚の目に強い痛みを感じた
 腰痛の痛みが一時的に悪化した
 耳から分泌物が出始めた

あまり書くと怖がらせてしまうと思うのでこのへんでやめておきますが、
現れる反応は人によりさまざまです。
どんな反応が出てもそれが練功反応なら心配はありませんし、
適切な対処をすれば悪い部分が改善されて、
しばらくすれば反応はおさまります。
そして反応がおさまったときは、
ひとつ上の健康レベルに上がっているというわけです。

20070528075910.jpg


練功反応が出たときの正しい対処法を紹介しましょう。

 練功反応か本当の病気かを区別する
体調に変化があったら、
早めに信頼できる気功の指導員に相談するか医師の診察を受け、
練功反応か病気かの区別をつけるようにしましょう。
自分で冷静に病状を観察すると区別できることもあります。
例えば下痢の場合、
病気による下痢は排便後も腹痛や全身の倦怠感が続いて、
気分がよくありません。
しかし練功反応による下痢なら排便後にはスッキリとした爽快感があり、
体が軽くなったように感じるでしょう。
また病気による発熱は関節痛や倦怠感、悪寒など他の症状を伴いますが、
練功反応による発熱はその他の症状が見られないことが多いようです。


 練功をやめずに、続ける
練功反応が出ても練習を中断してはいけません。
それまで通り毎日しっかりと続けてください。
これはとても重要なことなのでぜひ守ってください。
練功をやめれば練功反応はおさまります。
しかしそれでは病気を改善することはできませんし、
さらに上の健康レベルに上がることもできません。
真の健康を手に入れるチャンスをみすみす捨てることになってしまいます。
気功の効果を信じて練功を続けましょう。
そうすれば悪い部分は改善されます。


 練功の方法が間違っていないかどうか、あらためて確認する
誤った練習のやり方をしていると、体に良くない変化が出ることがあります。
姿勢、動作、意識の使い方など、あらゆる面から自分の練功法を
徹底チェックしてみましょう。
とくに、複数の気功の流派を学んできた人や自己流で勉強してきた人は、
いくつかの功法を混ぜて練功をしていないかどうかを確認してください。
流派によって功法の構成が少しずつ違うのですが、構成にはそれなりの意味があり、
安全かつ効果的に行なえるように組み立てられています。
それを勝手に混ぜて練習をしてしまうと、
マイナスの作用が出ることがあり危険なのです。


20070529083001.jpg マイナスの意識は絶対に持たない
マイナスの考えをもつと、
現実にその通りのことが起こってしまいます。
ですから、「病気が再発したに違いない」
「また病気になってしまった」「副作用だ」
などと思ったり、口に出したりしてはいけません。
練功反応は健康に近づいている証拠なのですから、
「なおっているんだ」という確信を持ちましょう。
プラスの意識は、体にもプラスの効果をもたらします。


ちなみに私は練功反応が出たとき、
すぐに診察を受けて病気でないことを確かめてから、
痛みのあった患部を温めながらいつも通りに練功を続けました。
そうしたところ、痛みは1週間ほどできれいに消えてなくなりました。

私の知人はおへそから臭い分泌物が出るという練功反応が見られましたが、
やはり練功を続けるうちに反応はおさまりました。
そしてなんとその後の検査では、
内臓にあった腫瘍も消えたことがわかったそうです。

練功反応は、真の健康に一歩近づいた喜ぶべき印です。
怖がらず、あきらめず、いつものように練習を続けていきましょう。

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 第20回
「気功にヨーガにフラに宗教、
    どれにも人類共通の智恵が脈々と流れています」


20070521174604.jpg肩が凝ったなぁと感じたとき、頭を左右に傾けたり肩を上げ下げして、凝りを和らげようとしたことがありませんか? 
長時間、椅子に座っていて疲れたときは、腰に手を当てて腰と背中をピンと伸ばすと、体の凝りがほぐれて気持ちがいいものです。
誰に教えられたわけでもないのに私たちは自然にこのような仕草をして、体の疲れや心の緊張をほぐしたりしています。

読者の皆さんのなかには、気功にも似た動作があることに気付いた方もいらっしゃるでしょう。
そうです、気功というのは、人類が太古から行なってきた自然な癒しの動作に原型があるといわれています。

そこにさらに武術などの修行法、漢方医学、舞踊、呼吸法、芸術や体育、
また中国古来の生命観や自然観、倫理道徳など、
幅広い分野の智恵や知識や実践を重層的に積み上げ体系的にまとめていったものが、
今日私たちが学んでいる「気功」といわれるものなのです。

ちなみに太極拳は動作を重要視している健康法ですが、
広い意味で気功に分類することができると思います。


ここ数年、ヨーガやフラダンス(正式名称はフラ=hura)の人気が高まっているようですが、
これらにも気功とよく似た面があるのです。

ヨーガは、もとはインドで古代から行なわれてきた修行法でした。
お釈迦さまも菩提樹の下でヨーガを行じて悟りを開いたといわれており、
仏教、とくに密教においてヨーガは心と体を平静にして精神を統一し、
宇宙(仏)との一体感を確認するための行の中核に位置づけられているそうです。

フラのルーツは、神に対する畏敬や感謝の念をあらわす宗教的な儀式にあります。
今では民族舞踊のひとつという印象が強くなっていますが、
フラの動きをよく観察していると、
「気」を非常にうまく回していることに気が付くでしょう。
神に捧げる踊りであると同時に、
健全な心身を追求するという側面もあったのだと思います。

南北アメリカには現在、24万人ほどの先住民が暮らしています。
20070521174852.jpg15世紀末にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパ人が移住してきてからというもの、先住民たちの暮らしぶりも様変わりして平均的なアメリカ人と似た生活を営む人も増えてきたそうですが、本来彼らは「われわれは大地の一部、大地はわれわれの一部」という世界観をもち、自然と一体になった生き方をしていました。

狩りや農耕や採集で日々の食糧を得、土や木などから器をつくり、野草などを薬とし、山や木々や水や風、いたるところに精霊を見て敬い讃える――大宇宙と全生命の調和をめざした生き方は、まさに天人合一です。

我が家には、アメリカ先住民の「ナバホ族」の砂絵があります。
もともと砂絵というのは、癒しや治療の儀式に用いるために、聖なる大地に多色の砂を用いて描かれたものだそうです。
絵のなかで表現されるのはおもに神話の神々、儀式の様子、
虹や山や雷といった自然、動植物などが多いといいますが、
じつは私が持っている砂絵には、
両手を頭上でかざして「気」を注ぎ込んでいるかのような姿をした人が描かれているのです。
気功にはまさに同じ動作がありますよね! 

智能気功では、
天の果てを思いながら宇宙に満ちあふれている「混元気」を脳天から注ぎ込み、
全身に貫通させるという動作があります。
これは清浄な「気」を体内にたっぷりと入れることができて全身の「気」の流れが整うので、
とても効果が高いのです。
ナバホ族の健康術や儀式については詳しくありませんが、
健康や幸福を願い求める心やそれを実現するための行為には時代や国や人種の壁などなく、
全人類に共通したものがあるのだなぁと、その砂絵を見ながら感嘆してしまいました。


「気功と宗教には何らかの関係がありますか?」、というご質問をときどき頂くことがあります。
ここでそれにお答えしてみたいと思います。

長い年月をかけて培われ信仰されてきた宗教はいずれも人類の魂の救済を目的とし、
それぞれに深遠な教義をもっています。
例えば、仏教には「縁起」「三法印」、
キリスト教には「三位一体」「原罪」といった根本となる教えがあります。
智能気功には「涵養(カンヨウ)道徳」という行動のよりどころとなる規律があります。
涵養道徳は気功を学ぶ上で非常に重要な規律であり道徳ですが、
宗教の教義のように、
その宗派だけで信じられている教えとは少し意味合いが違うといえるでしょう
(涵養道徳についてはあらためて詳しく紹介しますので、ぜひそちらをご覧ください)。

また宗教にはそれぞれ開祖が存在しますが、
智恵や知識の集積ともいえる気功には、仏教の釈迦やキリスト教のイエス、
イスラム教のムハマンドに相当するような人物は存在しません。

20070521175517.jpg


では、気功と宗教に共通点はあるのでしょうか。

宗教にはいろいろな行がありますが、
私はそこに気功との共通点があると考えています。
宗教の行のなかには、さまざまな気功的な智恵が応用されているのです。

例えば、もっともわかりやすい例のひとつは合掌です。
気功的にいうと、手と手を合わせると体内の「気」の流れが整って、
精神を統一することができるのです。

また新約聖書には、
イエスが手を触れると重い皮膚病が消え去ったとか、
抱き起こしたら病人の熱が下がったなど、
イエスが病人に行なったといわれる癒しの記述がいくつも見られます。
それらを読んで「まさか」と一笑に伏す人もいるでしょうが、
気功的な観点からすれば十分にあり得ることです。
気功には外気発射といって、
手のひらを病人にかざして「気」を発射し、病気を癒すという方法があるのです。

真に偉大な宗教家や聖人といわれ、奇蹟を起こしたと伝えられているような人々はみな、
大気功者の一面をもっていたに違いないと私は確信しています。

禅は仏教のなかでももっとも中国的といわれるだけに、
気功と相通じる部分が少なくないようです。
例えば、智能気功に「三心並站庄(サンシンヘイタンショウ)」という基本的な功法があります。
これは一定の姿勢を保ったまま立ち、
雑念を払って精神を統一することで「気」の発動を促すというものなのですが、
正しく行なっているときの脳波を測定すると、
座禅を組んでいるときの僧と同じ波形が見られるのだそうです。
形や方法こそ違うけれど、どちらも無我の境地に達しているのではないでしょうか。


このように見てみると、
気功もヨーガもフラも、アメリカ先住民の生き方も、そして宗教も、
今日まで長く守り実践し続けられてきたものには
人類共通のすばらしい智恵や叡智が流れていることに気付かされます。
そしていずれも究極の目標は、
健全な心身の実現と充実した生の全う、という点にあるのではないでしょうか。

私は気功、なかでも智能気功という道を選び歩んでいるわけですが、
アプローチの仕方や方法論が少しずつ違うだけで、
どの道を進んでいっても目標とするゴールは同じです。

皆さんもぜひ自分にあった道を探し、実践し、
健康と幸福をかなえてください。

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 第19回
「些細なことでクヨクヨしない、イライラしない。
そうしたらストレスさえ楽しめるようになってきました」


19-1.jpg「健康に悪いもの」というと皆さんは何を思い浮かべますか?

タバコ、飲みすぎ、食べすぎ、運動不足、過労――
それから、私は声を大にしてこれを上げたいと思います。

ストレス。

私も以前は、仕事でむずかしい案件を抱えると決まったように腰痛がひどくなっていました。
友人のなかにはストレス過剰でダウンして長期休養をとらざるを得なくなった人や、部署を移らなければならなかったという人たちもいます。

適度なストレスは、人間にやる気を起こさせたり向上心を喚起するといったプラスの働きをもたらしますが、行き過ぎたストレスは体と心をむしばみ、ときには命を縮める引き金になってしまいます。
今や医学界においても、
過剰なストレスが虚血性心疾患や過労死などの要因・誘因になるというのが定説です。
いかにストレスに対処するか、これは健康維持の大切なポイントといっていいでしょう。

じつは私自身、小さなことも神経質に突き詰めて考えたり、
几帳面に処理しようとする人間なのです。
その手の性格は良い面に作用することもありますが、
一方で、些細なことを深刻に悩んだり、生真面目になりすぎて自分を追い込んでしまうので、
人一倍のストレスを溜め込んでしまいます。

そんな性格の私でしたが、
気功を始めてからはストレスをほとんど負担に感じることなく、
むしろほどよい緊張感として楽しむことさえできるようになってきました。
その大きな理由は、気功によってものの見方や考え方が変わってきたためだと思います。

気功を練習するときはいつも、宇宙の果てに意念をめぐらしたり、
宇宙や自然との一体感を意識するといったように、
宇宙を相手に練功していますよね。

手元の辞書で宇宙について少し調べてみますと――
私たちが認識できる宇宙の果てというのは、
約150億光年の彼方だそうです。
その宇宙の果てと私たちがいる地球の間には100億個以上もの銀河があるといわれますが、
遠くの銀河ほど速い速度で遠ざかっているので、
今こうしているこの瞬間にも宇宙は膨張を続けています。
宇宙の果てを目指して宇宙船で旅をして行っても、
私たち人間は決してそれを見ることはできないのでしょうね。

宇宙とはなんと無限で、広大で、懐の深い存在なのでしょうか。

19-3.jpgそういう果てしない宇宙を相手に毎日練功をしていると、日常生活で起こるトラブル、心配や悩みや怒りなどがだんだんと取るに足りないものに思えてきました。
見栄や世間体といったものも、つまらないことだなぁと思えてきます。
いったい何と比べて取るに足りないのか、そこのあたりは自分でもまったくわかりませんが、気功を始めてからの私は常に、「人間の身に起きる出来事のほとんどは些細なことだ」という達観にも似た気持ちをもてるようになってきたのです。

神経質で几帳面な性格の人は、
「こうでなければならない」「こうしなければいけない」
というこだわりを持っていることが多いものですよね。
そういうこだわりもまた、
想像を遥かに超えた宇宙の包容力を日々の練功を通して感じていると、
ちっぽけなものに思えてきました。
「何が何でもこうであるべきだ」などという考えは、
自分が勝手に作り出した固定観念や妄想にすぎないのではないか。
そんなものに縛られてイライラしている自分自身も
これまた取るに足りない存在だなぁ、と。

例えばある取引先との関係がぎくしゃくして、うまく行かなくなったとしましょう。
昔の私なら、得意先をひとつ失うかもしれない出来事に頭を悩ませ、
あれこれと手立てを講じて、関係を修復するために何としても頑張ったかもしれません。
今ももちろん最大限の力を尽くすことに変わりはありません。
しかし同時に、「結果的にうまく行かなかなかったら仕方がない」という
どこかしら泰然とした思いを持っています。
また、関係修復ができなかったとしたら、
そのことがゆくゆくは良い結果につながるだろうという確信がどこかにあったりもします。
きっとこれは前の記事にも書いた「未来を予測する力」なのでしょうが、
そのおかげで気持ちにゆとりが生まれ、大きく構えていられるのかもしれません。

私くらいの年代になると疲れ果てて気力をなくしている人もいますが、
私などは30代40代の頃以上に今は「生きることが楽しい!」と思っています。
それは、過剰なストレスから解放されて楽になったという実感が
根底にあるからに違いありません。

19-2.jpg


「現代はストレス社会である」、などという言い回しがすっかり定着しています。
たしかにその通りだと思います。
ここ数年、うつに悩む人が増えているのはその証拠でしょう。
以前にも増して社会や家族関係さらには価値観が急激に変化している分、
ストレスはいっそう大きくなり、生き辛さを感じてしまうのだと思います。

職場環境や複雑な人間関係など、
ストレスを生み出すもとになっているものを変えるのは容易ではありません。
でも、心の持ちようをほんの少し変えると、
ストレスを過度に抱え込まなくてすむようになります。
そうすると精神的にかなり楽になってくるはずです。

先ほども書いたように、
私はもともと神経質で几帳面なせいでかなりなストレスを抱え込む人間でしたが、
そんな私でも変わることができたのです。
今は些細なことでクヨクヨ悩んだりイライラすることはほとんどありませんし、
ある程度のトラブルならストレスを感じることなく対処できると思っています。
昔なら恐らく大きなストレスになったと感じられることも、
今では楽に受け流すことができます。
気功のおかげで、宇宙との一体感を日々感じているだけで、
自然とそういうふうに変わってこられたのです。
私は、性格改善などをしたつもりはまったくないんですよ。
毎日コツコツと気功を練習していて、
ある日ふと気付いたら、たいていのことはおおらかに受け止められる自分がいた――
本当にそんな感じなのですから。


気功の最終目標は、
いわゆる「仙人」のような境地に達することだといいます。
仙人というのはどんなことにも動じずに大きな視野でものごとを眺め、
大きな心で受け止め、おおらかに対処することができる存在ではないでしょうか。
もちろん私などその境地には到底及びませんが、
今はそこに至る過程を進んでいるのかもしれません。
またこの過程を一歩一歩踏みしめて歩んでいくことが、
人生にとって大切なことだと思ったりもしています。


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 第18回
「気功はビジネスにも大きなプラスをもたらします」


気功に関心をお持ちの方のなかにはビジネスマンも多いようなので、
少しでもみなさんの参考になればと思い、
今回は「気功と仕事」というテーマで私の体験談を紹介することにします。

20070508085025.jpg
ビジネスマンはさまざまな場面で「選択」と「決断」が求められます。
とくに経営者や管理職など責任ある立場にいると、毎日が選択と決断の連続です。しかも、そのひとつひとつが重要な意味を持つ場合が少なくありません。

どちらの方法を選ぶかで、会社が倒産するか生き残るかが決まってしまう。この決断ひとつに、おおぜいの社員やその家族の人生と生活がかかっている。そんな状況に陥ったらやはり安易に答えを出すことなどできません。

しかし、そういう困難な決断をしなければならないのが、経営者や管理職の務めのひとつです。


私自身、ここ十数年はそのような立場にいるので、さまざまな選択と決断を経験してきました。
悩んだことも数々あります。
いえ、“ありました” と過去形にするのが正しいかもしれません。
じつは気功をやるようになってからは、
悩み抜いて答えを出すということがあまりなくなってきたのです。

例えば、ある取引先の人に「一緒に新しいビジネスを始めませんか」と
持ちかけられたとします。
その人を信頼していいのだろうか、
その会社と組んでいいのだろうか、
今そのビジネスを始めていいのか、
そのビジネスにどれだけの将来性があるのか、
どれだけのリスクが伴うか、
そのリスクを回避する方法はあるのか・・・・・
ふつうは最終的な答えを出すまでにあれこれ悩むものですし、
以前も私はそうやって決断していました。

ですが、気功をはじめてからは、
より良い選択肢は何なのかが直観的に、瞬間的に、感じ取れるようになってきました。
イエスにしろノーにしろ、答えを出すまでにそれほどの時間はかかりません。

すぐにゴーサインを出してビジネスをスタートできる会社と、
議論や会議を繰り返して、決定からスタートまでに何週間も何か月もかかる会社、
どちらがより有利でしょうか。
どちらがより多くのビジネスチャンスを得られるでしょうか。

もちろん、単にスピードが早ければいいわけではありません。
決断が正しいことも大切なポイントですが、
これまでを振り返ってみても、私が下した決断はほぼ間違っていなかったように思います。
事実、業績は確実に伸び、会社の規模も順調に大きくなっています。

重要な場面で、正しい決断を、自信をもって下すことができる。
これはビジネスにおける重要な戦力といっても過言ではないでしょう。

人事もむずかしい決断のひとつですが、
気功を始めてからは、人事についても直観的に判断できるようになってきました。
厳しいリストラに取り組まなければならないときもありましたが、
気功のおかげで正しい選択ができ、
会社にとってもその人自身にとってもより良い結果が得られたのではないかと思っています。

20070508085459.jpg


さて、重要な選択や決断をどのようなときに直観するのかというと――
じつは練功しているときが多いのです。

私は毎朝、起きるとすぐに練功をするのですが、
気功態に入って、いわゆる「無」に近い状態になりますね。
そういうときに突然、「ポン」、と考えが浮かんでくるのです。

四六時中悩んでいて、その末に結論にたどり着くというわけではありません。
練功しながら仕事のことを考えているわけでもないのです。
さざ波ひとつない池に小さな泡がひとつ浮き上がるように、
「ポン」、とひらめく感じです。
そしてそれが確信に変わっていって、実行に移すのです。

私自身は禅の経験がありませんが、禅の悟りは直覚体験なのだそうです。
直観的な智慧、霊性での自覚がすなわち悟りであって、
頭でどれだけ知識を組み合わせても、データを集めて推理推論を重ねてみても、
悟りには到達できないといいます。
たしかに有名な禅僧の逸話などを読むと、
手元のろうそくの火が消えた瞬間に忽然と悟ったとか、
暗闇でよろけて頭を壁にぶつけたとたん悟りが開けたなど、
悟りの瞬間は突然やってくるようです。

世俗的な仕事の話と宗教的な悟りを同じレベルで話すのは不謹慎ですが、
頭での知識や推理推論というのは、あくまでも判断の参考材料にすぎないのでしょう。
ものごとの真理や本質を見極めようとするとき、
大切になるのは直観力なのかもしれません。
前回の記事でも少し触れましたが、
気功を続けていると確かに直観力や第六感は磨かれていきます。
それが仕事にも役立っているのではないかと、私は考えています。

20070508085824.jpg私自身、今は充実感、満足感を感じながら楽しんで仕事をしています。
社員の皆も、仕事量が多くて忙しいにもかかわらず楽しそうに元気に仕事をしてくれているようですし、それぞれが能力を存分に発揮していい業績を上げています。

じつはこれ、気功の「気場」の効果なのです。

おおぜいの人が集まるとそこに気も集まって、気のパワーがいちだんと強くなります。それが気場です。
例えば、その気場のなかに向かって気功師が「中指が伸びる」という意念を送ると、気場にいる人たち全員の中指が伸びるといった現象が起こります。

とはいっても、わが社で社員が集まって練功しているなどということはありませんよ。
私が社員全員に気を送っている、なんていうこともありません。

ただ、私自身が「こうなりたい」「きっとこうなる」という願望をもち続けているのです。
すると、それがオフィスという気場にいる社員たちに伝わって、
現実のものになっていくのです。

気場ではそれぞれの成果が共鳴して大きくなり、
ひとりでやっているときよりも高い効果が得られるケースが多くなります。
おそらく私の「こうなりたい」という願望も、
気場を通してより一層大きく確実なものに育ってくれているのかもしれません。
どんなときも前向きな気持ちを持ち続けるというのは
とても大切なことなのですね。


今回は、仕事における選択と決断を中心にお話しましたが、
じつは私たちの生活そのもの人生そのものが
選択と決断の連続に他なりません。
人生におけるむずかしい選択の場面でも、
自信を持って決断し、確信を持って選んだ道を歩いていくことができたら――
生きることがもっと楽しく、もっと楽になるのではないでしょうか。

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 第17回
「気功を続けていると、いろいろな能力が目覚めてきます」


1.jpgスイスの心理学者・ユングは、「ふつうの人は潜在能力の50パーセント程度しか開発していない」と言っています。
最近の学者たちはもっとシビアに、「平均6パーセント」「5パーセントくらい」などと言っています。
多少オマケして考えてみても、人間は10パーセントほどの能力しか発揮していないのかもしれません。
皆すばらしい能力を持っていながら、そのほとんどを眠らせたままにしているわけです。


じつは気功を続けていると、
それ以前はできなかったことが、当たり前にできるようになってくることがあります。
私たちの内で眠っている90パーセント以上の能力が、
少しずつ引き出されるのではないでしょうか。

実際に私もいくつかの体験をしています。今回はそんなお話をしてみましょう。


私は30~40代の頃に12年ほど、海外で勤務していました。

もともと英語が好きだったので、当時は積極的に外国人の友人知人とつきあい、
英語での会話を楽しんだりしていました。
ところが49歳で日本に戻ってきてからは、たまに外国からお客様が来られて話そうとすると、
ぴったりした表現が思いつかなくて言葉に詰まる。
相手の英語が聞き取りにくい。
しばらく時間が経ってから、「あぁ、あのときは○○○と言えばよかったんだ」と思い出す、
といったことが多くなってきたのです。
日本にいると英語を使う機会が少ないから仕方がない。
そう思う一方で、年をとって頭の働きが鈍ってきたのかなぁ、とガッカリもしていました。

2.jpg智能気功を習いはじめたのは、その後、少したってからです。

不思議なことに気功をするようになってからは、久しぶりに英語を話す場面でも単語がスムーズに出てくるようになり、相手が話す英語もクリアに聞こえてきたのです。
海外で生活していた頃のような英語の勘が戻った気がして、とても嬉しかったのを覚えています。

でも、後になって考えてみれば別に不思議がるようなことではないのです。
なんといっても“智能”気功なのです!
体の痛みや悪いところを改善するだけでなく、智能や能力を開発することができる気功。それが智能気功なのですから。
中国では智能気功をやった子どもたちの成績が上がった、という例もあると聞いています。


また、「これはもしかして一種のテレパシー?」と思うような体験も数々しています。

例えば、△△さんに聞きたいことがあるから連絡しようかなぁと思っていると、
とたんに電話のベルが鳴り、出てみるとまさに△△さんその人だったりするのです。

あるときなどは、ずっとごぶさたしていた友人のことを思い出して、
電話でもかけてみようかと思っていたところに、
本人から「今フランスに来ているんだけど」と連絡が入り、さすがに鳥肌が立ちました。

誰かから電話が来そうな気がして、
それまでオフにしていた携帯電話の電源を入れるといきなり呼び出し音が鳴ったり。
電話のベルを聞いて「きっと□□さんからだ」と直感すると、
たしかにその人だったり。
その手のできごとは数え切れません。

こういう能力はテレパシーというか、
一種の直観力、第六感といった方がいいかもしれませんね。
例えば、沈没しそうな船からネズミが逃げ出す、
大地震が起きる前に鳥や動物が姿を消す、といった話がありますよね。
もともと生物は、これから起きる変化を感じとる直観力をもっているのだと思います。
大昔、私たち人間も自然のなかで暮らしていた時代には、
そういう動物的な勘を働かせていたのではないでしょうか。
文明の発達とともに失われてきたその力が、気功によって目覚めたのではないか――
と私は考えたりしています。

20070430122012.jpg


天気にまつわる面白い体験もいくつかしています。

妻と一緒に、オーストラリアの観光地・ピナクルズに行ったときのこと。
当日は朝から雨で、現地まで行くバスの車中、他のツアー客の人たちと
「これじゃあ、バスのなかから眺めるしかないね」と残念がっていました。
ところがピナクルズに到着すると急に雨が止み、
私たちの頭上だけポッカリと青空が広がったのです! 
まるでそこだけがスポットライトで照らし出されたように。
おかげで、バスから降りてゆっくりと見て回ることができました。
そして見物が終わってバスに戻ってきたら、あたりはまた真っ暗になり、雨がザーザー・・・・。

長野県の栂池自然園でも似たようなことが起きました。
栂池自然園は標高約1900メートルのところにあり、
ゴンドラとロープウェーを乗り継いで行きます。
その日もあいにくの雨だったのですが、登るにつれて雲がどんどん消え、
上に到着したときは真っ青な空が広がっていました。
そして見物が終わって下りてくると、また雨なのです。

今年の冬は、仲間たちと群馬県の草津で雪上ハイキングの計画を立てていました。
ところがご存知のとおりの暖冬。
現地のガイドさんからも、
「雪がほとんどないので、来てもらっても計画どおりできるかどうかわからない」と連絡が入ったのです。
それでも、せっかく休みを取ったのだから行ってみようということになり、
草津まで行ったのですが、やはり雪はほとんど見当たりません。

ところが、です。
着いたその晩に大雪が降り、
翌朝カーテンをあけるとあたりは一面の銀世界。積雪は数十センチ!
私たちは“かんじき”を履いて、3時間近くの森林ウォーキングを楽しみました。
そして翌日、私たちが帰京するときはまた太陽が顔を見せ、
積もっていた雪はサーッと溶けてしまったのです。

私は単なる“晴れ男”というわけではないようです。
「晴れる!」と思うと晴れてくれる。
「雪が降る!」と思うと、それまで晴れていても雪が降ってくる。
これは「確信の力」かもしれませんね。

前に、「気功の力を信じて、確信することが大切だ」というような話をしたと思います。
それと同じで、晴れると確信する、雪が降ると確信する、
そしてそれを現実へとつなげていく力が、気功を続けるうちに現れてきたのかもしれない――
などという想像をしています。


ひとりの人間が天然自然の現象を変えられるわけなどないし、
まして私にそんな大それた力があるなどとは思っていません。
陰陽師のように「向こうの山のかかっている雲を払ってみせる!」ということも、到底できないでしょう。
だからこれは単なる巡り会わせにすぎないかもしれません。

・・・・が、以前にはなかった不思議な体験、面白いできごとに、
気功をするようになってから頻繁に遭遇するようになったことは確かです。

そんなわけで、やればやるほど気功の面白さに驚き、気功への興味が増しているのです。

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